タイニーアバターの歴史(2)

Nobunaga Ogee

2008年02月22日 00:31


【タイニーアバターの歴史(1)よりの続きです】

●日本製タイニーの登場
 さて、駆け足で海外のタイニー事情を追ってきましたが、日本ではどうだったのでしょうか? 資料となるようなものが何一つないので、何名かの方からの証言をベースに解る範囲で書き連ねていきたいと思います。

 和製タイニーアバターでもっとも古いものはどれなのか? 一説によれば、Pe Reeさんが製作したペグマという作品であると言われています。販売開始がいつだったのかは判然としないものの、2005年中には製作されていたようです。こうした極初期の和製タイニーは、大々的に販売するというよりも、友人知人への配布用に用いられるのが主流だったとのこと。いわゆる「日本人居住区」で、和製タイニーが本格的に販売されはじめたのはもう少し後、2006年末~2007年初頭まで待たなくてはなりません。

 タイニー誕生から一年以上が経過していた当時であっても、タイニー製作者同士の横のつながりはそれほど盛んではなく、数名の日本人クリエーターが、それぞれ個別にタイニー製作に挑んでいました。
 また当時は、まだオブジェクト製作に関する日本語情報がほとんどない状況であったことも、タイニー製作の敷居を高くしている一因であったといえるでしょう。簡単なプリム編集の基礎が紹介されている場所はあっても、こと「タイニーの作り方」に至っては、日本語情報は皆無だったのです。そこで、日本人クリエーターたちがとった行動は、海外製のMod可能なタイニーをバラしてみる、ということでした。

 海外製タイニーは、その大部分がKage式AOを使用しています(※2)。それゆえに海外製タイニーを分解して製作法を探っていた日本人クリエーターの多くが、第一段階として自身の製作物にKage式AOを転用することとなりました。つまり、初期の和製タイニーの大部分が海外製タイニーと全く同じ動きをしていた訳です。


【写真】Kru Flan さんが製作したタイニーアバター「Usagi the Tiny Avatar」。正確なリリース日は不明だが、Kruさんのブログにて2006年11月27日に製品が紹介されている。表情変化、だだっこアニメーションなどのギミック付き。一部の独自アニメーションを除いては、Kage式AOを採用している。


【写真】「Zig-Zag@Tiny」のZigさんが製作した初のタイニーアバター「Zig-Neko」。製作日は2007年1月14日。AOが自作ではなくKage式AOを採用しているのが特徴。


【写真】私が製作した初のタイニーアバター「KX-01 Tiny Robot Avatar」。完成はZigさんよりは若干遅く、2月第一週(正確な日付は失念)。現在はTomonekoさん製AOに変更しているが、当初はKage式AOを使っていた。

(※2)正確な統計は取っていませんが、私が実際に手に入れた海外製タイニーは、すべてKage式AOを採用していました。先日のエントリーで紹介したフルパーミッション版の「THE ORIGINAL TINIES KIT」の中身がコピーにコピーを重ね広まっていった結果として、Kage式AOが現在のように寡占状態を築くに至ったと推測されます。

●タイニー商店街の成立と「Tiny製作キット」のリリース
 タイニー製作者たちが横のつながりを持つようになったきっかけを作ったのは、「Osaka」SIMのオーナーHiroaki Rhinoさんでした。ZigさんやJingさんなど、当時はまだまだ少数派だったタイニー製作者の声を聞き、タイニー専門店を集めた商店街という計画を立ち上げたのです(※3)。
 彼らは、各地で個別に動いていた日本人クリエーターたちに声をかけはじめました。この時期にタイニーを作っていた人数は僅か1ケタ。2007年3月末の発足当初にタイニー商店街に集まったのは、私を含め6名であり、これが日本人タイニー製作者のほぼすべてといった状況でした。
 ですが、このメンバーが集まったことで、技術交流とタイニー普及のためのグループ「TINY LAB JPN」が発足できたことは、何にも増して大きな意味を持っていたと思います。そして、「タイニーを普及させるには、まず製作者の数を増やすべし」ということで同グループによって作られたのが、「Tiny製作キット」でした。

 当時の私たちは、Kage氏の「THE ORIGINAL TINIES KIT」の存在を知らずに、流出したKage式AOを利用していた訳ですが、この段階に来て自作のキットの製作に動いたのには、いくつかの理由があります。
 まず、Kage氏が作ったアニメーションには、歩行時に左の足首がブレて体からはみ出したり、体の折りたたみ方に左右非対称な部分があったり、といった問題点があったこと。メンバー全員がそのことで悩んでいたため、これはぜひ何とかしようという運びとなりました。また、意図しない状況でアニメーションの上書きが解除されてしまうというスクリプト面での不具合もありました。
 そこで、日本発のタイニー規格を作るべく、腰の高さの策定から開始。Zigさんがアニメーションを新規に作ることになりました。また、スクリプト面でもTomoneko Mayoさんの協力が得られたことで、いくつかの改善策が盛り込まれました。その際、AO一式(スクリプト、ノートカード、アニメーションファイル)を個別にキットへ入れるのではなく、「ボディークラッシャー」方式を採用することにしました。この方式は、専用パーツにAO一式を入れるため、AOだけを後から交換できるという利点があります。
 さらに製作初心者でも作りやすいように、との配慮から私がマネキンシステムを作り、これに対応した作例をCue Frideさんが組み上げていきました。
 「TINY LAB JPN」グループの発足から一月弱。2007年5月1日、上記の面々の協力によって「Tiny製作キット」のリリースされました。


【写真】おなじみの「Tiny製作キット」のパッケージ。デザインはCueさん担当。ひと際目を引く「作例くん」の秀逸なデザインは、いつの間にかタイニーを表す記号のようにして受け入れられていく。

(※3)当時、「Osaka」SIMに存在していた某クラブにおいて、あるアバターが「人間ではない=タイニーである」ことを理由として追い出される事件が発生。これを機に「タイニーにも人権を!」との動きが出て、タイニーの町としての「Osakaタイニー商店街」へと発展していきました。今からだと考えられない事件ですね。

「第三回に続く」
タイニーアバターの歴史