タイニーアバターの歴史(3)

Nobunaga Ogee

2008年02月23日 14:31


「タイニーアバターの歴史(1)」
「タイニーアバターの歴史(2)」

●タイニー関連イベントの開催
 「無料かつ商用利用可」としたためか、「Tiny製作キット」は一般配布が始まるや週数百個というペースで貰われていきました。丁度、日本ではSLに関する報道が過熱気味になっていた時期でもあり、日本人プレイヤーが急増していたことも影響したのでしょう。「Tiny製作キット」によって下げられたハードルと絶対的なプレイヤーの増加が上手く重なり、日本人タイニー製作者が爆発的に増えていった訳です。
 以上のような状況を受けて、「TINY LAB JPN」が開催したイベントが「タイニーアバターの世界展」です。おそらくSL日本人コミュニティーとしては、タイニーを専門とする初のイベントではなかったかと思います。
 プリム数の制約上、実物展示が難しいタイニーを、期間限定で設けられた特設会場で展示するというこの試みに、29名のクリエーターが参加。同イベントでは「タイニー製作者」だけでなく「タイニー愛好者」の増加を促すべく、会場では作品展示と併行して販売も行われました。8日間の開催の来客数は1283人。当時のSL人口から考えれば、なかなかの動員数であり、一定の成功を収めたといえるでしょう。


【写真】最終日に撮影された全作品の集合写真。マンガ、アニメといった日本文化の影響を受けたデザインのタイニーアバターが多数見受けられた。

 「世界展」以降、日本人コミュニティーではタイニーに関連したイベントが、次々と企画されはじめました。現在までにタイニーダンスパーティー、タイニーサッカー大会、タイニーホッケー大会、タイニーアバターコンテスト、タイニーの鉄人(※5)など、趣向を凝らしたイベントが様々な人たちの手で行われています。製作者に限らず、愛好者が増えたことで、多数のイベントが受け入れられる市場が築かれたのでしょう。

(※5)タイニー関連イベントを積極的に開いているのが「Higashiosaka」SIM。同SIMでは、これまでにタイニーサッカー大会やタイニーホッケー大会が開催されています。また、タイニー製作者を対象としたコンテスト形式のイベントも、各地で行われているようです。なかでも特徴的なのが、観客の前で制限時間内にタイニーアバターの製作を行うというリアルタイムイベント「タイニーの鉄人」。このイベントは、「Osaka」SIMオーナーHiroakiさんの主催で開催され100名を越す観客を動員しました。

●結語
 タイニー製作が日本人の手で行われるようになって約一年。製作者の数は右肩上がりを続け、今では3ケタを下らないものと思われます。6店舗ではじまった「タイニー商店街」は50店舗を超えるまで成長し、「Osaka」SIMを飛び出して「Tiny Kingdom」というタイニー専門SIMを生み出すにまで至りました。
 また、「SL Exchange」などの通販サイトでも日本人クリエーターの増加を感じ取れます。商品ラインナップを見る限り、海外では少数のクリエーターが1人あたり数十種類を販売していますが、日本人クリエーターは1人あたりの販売数はまだ少ないものの、人数では上回りつつあります。

 製作者の増加は、デザインの多様化をもたらしました。動物系に極端に偏ることなく、人型、ロボット、車やバイクといった乗り物、ドラゴンなど空想上の生物、擬人化された植物、果ては冷蔵庫といった家電まで、様々なモチーフがデザインに取り入れられています。片っ端から擬人化したがる日本文化の影響が色濃く反映されていると言えるのではないでしょうか。


【写真】Miyaoka Hitchcockさんの冷蔵庫タイニー。内容物に至るまで作りこまれたこだわりの一品だ。冷蔵庫が歩く姿はシュールだが、愛らしくもある。

 何はともあれ、日本人コミュニティーにおいてタイニー製作者の裾野はこの一年でかなりの広がりを見せました。また、タイニーを常用する愛好者の数も増加傾向にあります。何より、通常アバターの使用者であっても、「1体はタイニーアバターを所持している」というライトユーザー層が拡大したことで、タイニーへの理解が深まったことは実に喜ばしいことです。マンガ・アニメ的デザインとの親和性が高いタイニーアバターは、今後も日本人コミュニティー内で発展していくのではないでしょうか。
タイニーアバターの歴史