2008年02月26日
【タイニー展】作品募集要項
5月開催予定のイベント「タイニーアバターの宇宙展」に関して、いくつか決まったことがありますので発表したいと思います。
“オリジナルデザインによるタイニーアバター展覧会”
タイニーアバターの宇宙展作品募集要項
当イベントは、2007年5月に開催された「タイニーアバターの世界展」の後継イベントです。特設会場を設営し、期間限定でタイニーアバターの実物を展示及び販売することで、前回を超えるタイニーアバターの物量作戦による宇宙征服を目指します。
作品応募に関しては、下記の「続きを読む」から募集要項をご覧下さい。
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“オリジナルデザインによるタイニーアバター展覧会”
タイニーアバターの宇宙展作品募集要項
当イベントは、2007年5月に開催された「タイニーアバターの世界展」の後継イベントです。特設会場を設営し、期間限定でタイニーアバターの実物を展示及び販売することで、前回を超えるタイニーアバターの物量作戦による宇宙征服を目指します。
作品応募に関しては、下記の「続きを読む」から募集要項をご覧下さい。
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2008年02月25日
タイニーアバターの宇宙展開催(予定)
2007年5月に開催されたイベント「タイニーアバターの世界展」。その後継イベントを「タイニーアバターの宇宙展」と題して開催する予定です。
開催日程の詳細は未定ですが、5月中の開催を目標としています。詳細が決まりましたら、当ブログなどを通じて発表しますので、しばらくお待ちください。
開催日程の詳細は未定ですが、5月中の開催を目標としています。詳細が決まりましたら、当ブログなどを通じて発表しますので、しばらくお待ちください。
2008年02月23日
タイニーアバターの歴史(3)
「タイニーアバターの歴史(1)」
「タイニーアバターの歴史(2)」
●タイニー関連イベントの開催
「無料かつ商用利用可」としたためか、「Tiny製作キット」は一般配布が始まるや週数百個というペースで貰われていきました。丁度、日本ではSLに関する報道が過熱気味になっていた時期でもあり、日本人プレイヤーが急増していたことも影響したのでしょう。「Tiny製作キット」によって下げられたハードルと絶対的なプレイヤーの増加が上手く重なり、日本人タイニー製作者が爆発的に増えていった訳です。
以上のような状況を受けて、「TINY LAB JPN」が開催したイベントが「タイニーアバターの世界展」です。おそらくSL日本人コミュニティーとしては、タイニーを専門とする初のイベントではなかったかと思います。
プリム数の制約上、実物展示が難しいタイニーを、期間限定で設けられた特設会場で展示するというこの試みに、29名のクリエーターが参加。同イベントでは「タイニー製作者」だけでなく「タイニー愛好者」の増加を促すべく、会場では作品展示と併行して販売も行われました。8日間の開催の来客数は1283人。当時のSL人口から考えれば、なかなかの動員数であり、一定の成功を収めたといえるでしょう。

【写真】最終日に撮影された全作品の集合写真。マンガ、アニメといった日本文化の影響を受けたデザインのタイニーアバターが多数見受けられた。
「世界展」以降、日本人コミュニティーではタイニーに関連したイベントが、次々と企画されはじめました。現在までにタイニーダンスパーティー、タイニーサッカー大会、タイニーホッケー大会、タイニーアバターコンテスト、タイニーの鉄人(※5)など、趣向を凝らしたイベントが様々な人たちの手で行われています。製作者に限らず、愛好者が増えたことで、多数のイベントが受け入れられる市場が築かれたのでしょう。
(※5)タイニー関連イベントを積極的に開いているのが「Higashiosaka」SIM。同SIMでは、これまでにタイニーサッカー大会やタイニーホッケー大会が開催されています。また、タイニー製作者を対象としたコンテスト形式のイベントも、各地で行われているようです。なかでも特徴的なのが、観客の前で制限時間内にタイニーアバターの製作を行うというリアルタイムイベント「タイニーの鉄人」。このイベントは、「Osaka」SIMオーナーHiroakiさんの主催で開催され100名を越す観客を動員しました。
●結語
タイニー製作が日本人の手で行われるようになって約一年。製作者の数は右肩上がりを続け、今では3ケタを下らないものと思われます。6店舗ではじまった「タイニー商店街」は50店舗を超えるまで成長し、「Osaka」SIMを飛び出して「Tiny Kingdom」というタイニー専門SIMを生み出すにまで至りました。
また、「SL Exchange」などの通販サイトでも日本人クリエーターの増加を感じ取れます。商品ラインナップを見る限り、海外では少数のクリエーターが1人あたり数十種類を販売していますが、日本人クリエーターは1人あたりの販売数はまだ少ないものの、人数では上回りつつあります。
製作者の増加は、デザインの多様化をもたらしました。動物系に極端に偏ることなく、人型、ロボット、車やバイクといった乗り物、ドラゴンなど空想上の生物、擬人化された植物、果ては冷蔵庫といった家電まで、様々なモチーフがデザインに取り入れられています。片っ端から擬人化したがる日本文化の影響が色濃く反映されていると言えるのではないでしょうか。

【写真】Miyaoka Hitchcockさんの冷蔵庫タイニー。内容物に至るまで作りこまれたこだわりの一品だ。冷蔵庫が歩く姿はシュールだが、愛らしくもある。
何はともあれ、日本人コミュニティーにおいてタイニー製作者の裾野はこの一年でかなりの広がりを見せました。また、タイニーを常用する愛好者の数も増加傾向にあります。何より、通常アバターの使用者であっても、「1体はタイニーアバターを所持している」というライトユーザー層が拡大したことで、タイニーへの理解が深まったことは実に喜ばしいことです。マンガ・アニメ的デザインとの親和性が高いタイニーアバターは、今後も日本人コミュニティー内で発展していくのではないでしょうか。
「タイニーアバターの歴史(2)」
●タイニー関連イベントの開催
「無料かつ商用利用可」としたためか、「Tiny製作キット」は一般配布が始まるや週数百個というペースで貰われていきました。丁度、日本ではSLに関する報道が過熱気味になっていた時期でもあり、日本人プレイヤーが急増していたことも影響したのでしょう。「Tiny製作キット」によって下げられたハードルと絶対的なプレイヤーの増加が上手く重なり、日本人タイニー製作者が爆発的に増えていった訳です。
以上のような状況を受けて、「TINY LAB JPN」が開催したイベントが「タイニーアバターの世界展」です。おそらくSL日本人コミュニティーとしては、タイニーを専門とする初のイベントではなかったかと思います。
プリム数の制約上、実物展示が難しいタイニーを、期間限定で設けられた特設会場で展示するというこの試みに、29名のクリエーターが参加。同イベントでは「タイニー製作者」だけでなく「タイニー愛好者」の増加を促すべく、会場では作品展示と併行して販売も行われました。8日間の開催の来客数は1283人。当時のSL人口から考えれば、なかなかの動員数であり、一定の成功を収めたといえるでしょう。

【写真】最終日に撮影された全作品の集合写真。マンガ、アニメといった日本文化の影響を受けたデザインのタイニーアバターが多数見受けられた。
「世界展」以降、日本人コミュニティーではタイニーに関連したイベントが、次々と企画されはじめました。現在までにタイニーダンスパーティー、タイニーサッカー大会、タイニーホッケー大会、タイニーアバターコンテスト、タイニーの鉄人(※5)など、趣向を凝らしたイベントが様々な人たちの手で行われています。製作者に限らず、愛好者が増えたことで、多数のイベントが受け入れられる市場が築かれたのでしょう。
(※5)タイニー関連イベントを積極的に開いているのが「Higashiosaka」SIM。同SIMでは、これまでにタイニーサッカー大会やタイニーホッケー大会が開催されています。また、タイニー製作者を対象としたコンテスト形式のイベントも、各地で行われているようです。なかでも特徴的なのが、観客の前で制限時間内にタイニーアバターの製作を行うというリアルタイムイベント「タイニーの鉄人」。このイベントは、「Osaka」SIMオーナーHiroakiさんの主催で開催され100名を越す観客を動員しました。
●結語
タイニー製作が日本人の手で行われるようになって約一年。製作者の数は右肩上がりを続け、今では3ケタを下らないものと思われます。6店舗ではじまった「タイニー商店街」は50店舗を超えるまで成長し、「Osaka」SIMを飛び出して「Tiny Kingdom」というタイニー専門SIMを生み出すにまで至りました。
また、「SL Exchange」などの通販サイトでも日本人クリエーターの増加を感じ取れます。商品ラインナップを見る限り、海外では少数のクリエーターが1人あたり数十種類を販売していますが、日本人クリエーターは1人あたりの販売数はまだ少ないものの、人数では上回りつつあります。
製作者の増加は、デザインの多様化をもたらしました。動物系に極端に偏ることなく、人型、ロボット、車やバイクといった乗り物、ドラゴンなど空想上の生物、擬人化された植物、果ては冷蔵庫といった家電まで、様々なモチーフがデザインに取り入れられています。片っ端から擬人化したがる日本文化の影響が色濃く反映されていると言えるのではないでしょうか。

【写真】Miyaoka Hitchcockさんの冷蔵庫タイニー。内容物に至るまで作りこまれたこだわりの一品だ。冷蔵庫が歩く姿はシュールだが、愛らしくもある。
何はともあれ、日本人コミュニティーにおいてタイニー製作者の裾野はこの一年でかなりの広がりを見せました。また、タイニーを常用する愛好者の数も増加傾向にあります。何より、通常アバターの使用者であっても、「1体はタイニーアバターを所持している」というライトユーザー層が拡大したことで、タイニーへの理解が深まったことは実に喜ばしいことです。マンガ・アニメ的デザインとの親和性が高いタイニーアバターは、今後も日本人コミュニティー内で発展していくのではないでしょうか。
2008年02月22日
タイニーアバターの歴史(2)
【タイニーアバターの歴史(1)よりの続きです】
●日本製タイニーの登場
さて、駆け足で海外のタイニー事情を追ってきましたが、日本ではどうだったのでしょうか? 資料となるようなものが何一つないので、何名かの方からの証言をベースに解る範囲で書き連ねていきたいと思います。
和製タイニーアバターでもっとも古いものはどれなのか? 一説によれば、Pe Reeさんが製作したペグマという作品であると言われています。販売開始がいつだったのかは判然としないものの、2005年中には製作されていたようです。こうした極初期の和製タイニーは、大々的に販売するというよりも、友人知人への配布用に用いられるのが主流だったとのこと。いわゆる「日本人居住区」で、和製タイニーが本格的に販売されはじめたのはもう少し後、2006年末~2007年初頭まで待たなくてはなりません。
タイニー誕生から一年以上が経過していた当時であっても、タイニー製作者同士の横のつながりはそれほど盛んではなく、数名の日本人クリエーターが、それぞれ個別にタイニー製作に挑んでいました。
また当時は、まだオブジェクト製作に関する日本語情報がほとんどない状況であったことも、タイニー製作の敷居を高くしている一因であったといえるでしょう。簡単なプリム編集の基礎が紹介されている場所はあっても、こと「タイニーの作り方」に至っては、日本語情報は皆無だったのです。そこで、日本人クリエーターたちがとった行動は、海外製のMod可能なタイニーをバラしてみる、ということでした。
海外製タイニーは、その大部分がKage式AOを使用しています(※2)。それゆえに海外製タイニーを分解して製作法を探っていた日本人クリエーターの多くが、第一段階として自身の製作物にKage式AOを転用することとなりました。つまり、初期の和製タイニーの大部分が海外製タイニーと全く同じ動きをしていた訳です。

【写真】Kru Flan さんが製作したタイニーアバター「Usagi the Tiny Avatar」。正確なリリース日は不明だが、Kruさんのブログにて2006年11月27日に製品が紹介されている。表情変化、だだっこアニメーションなどのギミック付き。一部の独自アニメーションを除いては、Kage式AOを採用している。

【写真】「Zig-Zag@Tiny」のZigさんが製作した初のタイニーアバター「Zig-Neko」。製作日は2007年1月14日。AOが自作ではなくKage式AOを採用しているのが特徴。

【写真】私が製作した初のタイニーアバター「KX-01 Tiny Robot Avatar」。完成はZigさんよりは若干遅く、2月第一週(正確な日付は失念)。現在はTomonekoさん製AOに変更しているが、当初はKage式AOを使っていた。
(※2)正確な統計は取っていませんが、私が実際に手に入れた海外製タイニーは、すべてKage式AOを採用していました。先日のエントリーで紹介したフルパーミッション版の「THE ORIGINAL TINIES KIT」の中身がコピーにコピーを重ね広まっていった結果として、Kage式AOが現在のように寡占状態を築くに至ったと推測されます。
●タイニー商店街の成立と「Tiny製作キット」のリリース
タイニー製作者たちが横のつながりを持つようになったきっかけを作ったのは、「Osaka」SIMのオーナーHiroaki Rhinoさんでした。ZigさんやJingさんなど、当時はまだまだ少数派だったタイニー製作者の声を聞き、タイニー専門店を集めた商店街という計画を立ち上げたのです(※3)。
彼らは、各地で個別に動いていた日本人クリエーターたちに声をかけはじめました。この時期にタイニーを作っていた人数は僅か1ケタ。2007年3月末の発足当初にタイニー商店街に集まったのは、私を含め6名であり、これが日本人タイニー製作者のほぼすべてといった状況でした。
ですが、このメンバーが集まったことで、技術交流とタイニー普及のためのグループ「TINY LAB JPN」が発足できたことは、何にも増して大きな意味を持っていたと思います。そして、「タイニーを普及させるには、まず製作者の数を増やすべし」ということで同グループによって作られたのが、「Tiny製作キット」でした。
当時の私たちは、Kage氏の「THE ORIGINAL TINIES KIT」の存在を知らずに、流出したKage式AOを利用していた訳ですが、この段階に来て自作のキットの製作に動いたのには、いくつかの理由があります。
まず、Kage氏が作ったアニメーションには、歩行時に左の足首がブレて体からはみ出したり、体の折りたたみ方に左右非対称な部分があったり、といった問題点があったこと。メンバー全員がそのことで悩んでいたため、これはぜひ何とかしようという運びとなりました。また、意図しない状況でアニメーションの上書きが解除されてしまうというスクリプト面での不具合もありました。
そこで、日本発のタイニー規格を作るべく、腰の高さの策定から開始。Zigさんがアニメーションを新規に作ることになりました。また、スクリプト面でもTomoneko Mayoさんの協力が得られたことで、いくつかの改善策が盛り込まれました。その際、AO一式(スクリプト、ノートカード、アニメーションファイル)を個別にキットへ入れるのではなく、「ボディークラッシャー」方式を採用することにしました。この方式は、専用パーツにAO一式を入れるため、AOだけを後から交換できるという利点があります。
さらに製作初心者でも作りやすいように、との配慮から私がマネキンシステムを作り、これに対応した作例をCue Frideさんが組み上げていきました。
「TINY LAB JPN」グループの発足から一月弱。2007年5月1日、上記の面々の協力によって「Tiny製作キット」のリリースされました。

【写真】おなじみの「Tiny製作キット」のパッケージ。デザインはCueさん担当。ひと際目を引く「作例くん」の秀逸なデザインは、いつの間にかタイニーを表す記号のようにして受け入れられていく。
(※3)当時、「Osaka」SIMに存在していた某クラブにおいて、あるアバターが「人間ではない=タイニーである」ことを理由として追い出される事件が発生。これを機に「タイニーにも人権を!」との動きが出て、タイニーの町としての「Osakaタイニー商店街」へと発展していきました。今からだと考えられない事件ですね。
「第三回に続く」
●日本製タイニーの登場
さて、駆け足で海外のタイニー事情を追ってきましたが、日本ではどうだったのでしょうか? 資料となるようなものが何一つないので、何名かの方からの証言をベースに解る範囲で書き連ねていきたいと思います。
和製タイニーアバターでもっとも古いものはどれなのか? 一説によれば、Pe Reeさんが製作したペグマという作品であると言われています。販売開始がいつだったのかは判然としないものの、2005年中には製作されていたようです。こうした極初期の和製タイニーは、大々的に販売するというよりも、友人知人への配布用に用いられるのが主流だったとのこと。いわゆる「日本人居住区」で、和製タイニーが本格的に販売されはじめたのはもう少し後、2006年末~2007年初頭まで待たなくてはなりません。
タイニー誕生から一年以上が経過していた当時であっても、タイニー製作者同士の横のつながりはそれほど盛んではなく、数名の日本人クリエーターが、それぞれ個別にタイニー製作に挑んでいました。
また当時は、まだオブジェクト製作に関する日本語情報がほとんどない状況であったことも、タイニー製作の敷居を高くしている一因であったといえるでしょう。簡単なプリム編集の基礎が紹介されている場所はあっても、こと「タイニーの作り方」に至っては、日本語情報は皆無だったのです。そこで、日本人クリエーターたちがとった行動は、海外製のMod可能なタイニーをバラしてみる、ということでした。
海外製タイニーは、その大部分がKage式AOを使用しています(※2)。それゆえに海外製タイニーを分解して製作法を探っていた日本人クリエーターの多くが、第一段階として自身の製作物にKage式AOを転用することとなりました。つまり、初期の和製タイニーの大部分が海外製タイニーと全く同じ動きをしていた訳です。

【写真】Kru Flan さんが製作したタイニーアバター「Usagi the Tiny Avatar」。正確なリリース日は不明だが、Kruさんのブログにて2006年11月27日に製品が紹介されている。表情変化、だだっこアニメーションなどのギミック付き。一部の独自アニメーションを除いては、Kage式AOを採用している。

【写真】「Zig-Zag@Tiny」のZigさんが製作した初のタイニーアバター「Zig-Neko」。製作日は2007年1月14日。AOが自作ではなくKage式AOを採用しているのが特徴。

【写真】私が製作した初のタイニーアバター「KX-01 Tiny Robot Avatar」。完成はZigさんよりは若干遅く、2月第一週(正確な日付は失念)。現在はTomonekoさん製AOに変更しているが、当初はKage式AOを使っていた。
(※2)正確な統計は取っていませんが、私が実際に手に入れた海外製タイニーは、すべてKage式AOを採用していました。先日のエントリーで紹介したフルパーミッション版の「THE ORIGINAL TINIES KIT」の中身がコピーにコピーを重ね広まっていった結果として、Kage式AOが現在のように寡占状態を築くに至ったと推測されます。
●タイニー商店街の成立と「Tiny製作キット」のリリース
タイニー製作者たちが横のつながりを持つようになったきっかけを作ったのは、「Osaka」SIMのオーナーHiroaki Rhinoさんでした。ZigさんやJingさんなど、当時はまだまだ少数派だったタイニー製作者の声を聞き、タイニー専門店を集めた商店街という計画を立ち上げたのです(※3)。
彼らは、各地で個別に動いていた日本人クリエーターたちに声をかけはじめました。この時期にタイニーを作っていた人数は僅か1ケタ。2007年3月末の発足当初にタイニー商店街に集まったのは、私を含め6名であり、これが日本人タイニー製作者のほぼすべてといった状況でした。
ですが、このメンバーが集まったことで、技術交流とタイニー普及のためのグループ「TINY LAB JPN」が発足できたことは、何にも増して大きな意味を持っていたと思います。そして、「タイニーを普及させるには、まず製作者の数を増やすべし」ということで同グループによって作られたのが、「Tiny製作キット」でした。
当時の私たちは、Kage氏の「THE ORIGINAL TINIES KIT」の存在を知らずに、流出したKage式AOを利用していた訳ですが、この段階に来て自作のキットの製作に動いたのには、いくつかの理由があります。
まず、Kage氏が作ったアニメーションには、歩行時に左の足首がブレて体からはみ出したり、体の折りたたみ方に左右非対称な部分があったり、といった問題点があったこと。メンバー全員がそのことで悩んでいたため、これはぜひ何とかしようという運びとなりました。また、意図しない状況でアニメーションの上書きが解除されてしまうというスクリプト面での不具合もありました。
そこで、日本発のタイニー規格を作るべく、腰の高さの策定から開始。Zigさんがアニメーションを新規に作ることになりました。また、スクリプト面でもTomoneko Mayoさんの協力が得られたことで、いくつかの改善策が盛り込まれました。その際、AO一式(スクリプト、ノートカード、アニメーションファイル)を個別にキットへ入れるのではなく、「ボディークラッシャー」方式を採用することにしました。この方式は、専用パーツにAO一式を入れるため、AOだけを後から交換できるという利点があります。
さらに製作初心者でも作りやすいように、との配慮から私がマネキンシステムを作り、これに対応した作例をCue Frideさんが組み上げていきました。
「TINY LAB JPN」グループの発足から一月弱。2007年5月1日、上記の面々の協力によって「Tiny製作キット」のリリースされました。

【写真】おなじみの「Tiny製作キット」のパッケージ。デザインはCueさん担当。ひと際目を引く「作例くん」の秀逸なデザインは、いつの間にかタイニーを表す記号のようにして受け入れられていく。
(※3)当時、「Osaka」SIMに存在していた某クラブにおいて、あるアバターが「人間ではない=タイニーである」ことを理由として追い出される事件が発生。これを機に「タイニーにも人権を!」との動きが出て、タイニーの町としての「Osakaタイニー商店街」へと発展していきました。今からだと考えられない事件ですね。
「第三回に続く」
2008年02月21日
タイニーアバターの歴史(1)
●はじめに
喜ばしいことにSLの日本人コミュニティーで、タイニーアバターの普及が進んできています。今では、日系SIMでタイニーの姿を見かけることは珍しくなくなりました。
ところがタイニーアバターの歴史については、あまり知られていないような気がします。そこで、今回から「タイニーアバターの歴史」と題してタイニーのルーツなどを追っていきたいと思います。少々、長ったらしい文章になるうえ、私自身の記憶やら何やらに頼らざるを得ないため信憑性はビミョウなところかと思いますが、興味のある方は最後までお付き合いください。ツッコミ歓迎、事実誤認については随時訂正してきます。
●タイニーアバターの誕生
「Tiny製作キット」の存在からか、タイニーアバターが日本発のものであると思っている方がそれなりの数おられるようですが、実際には海外発祥の技術になります。
世界で最初のタイニーアバターは、2005年にKage Seraph氏によって発売された「Chibi Mecha」であると言われています(※1)。AO(アニメーションオーバーライダー)技術により、体を限界以上に折りたたんだだけの「小さなアバター」はそれ以前にも存在していたようですが、「歩く」「走る」「座る」といった動作を完全に再現したものは、「Chibi Mecha」が始めてだったようです。

【写真】すべてのタイニーのご先祖様「Chibi Mecha」。「Second Life Wikia」より転載。
タイニー界におけるKage氏の功績は、ただ単に「世界初のタイニーアバターを作った」というだけではありません。真に称えられるべきは、そのAO一式をほかのクリエーターに対して供給したことにあります。
この太っ腹な行為により、海外では続々とタイニーたちが生み出されました。有名どころとしては、Wynx Whiplash氏のアニマルタイニーシリーズがこれにあたります。2005年中頃からリリースを開始した同シリーズは、その愛くるしいデザインで爆発的なヒット商品となりました。このシリーズが「Tinies」として広く知られたことが、「Tiny Avatar」という語の定着に一役買ったようです。以上のような経緯を経てタイニーアバターは海外で市民権を獲得し、広まっていきました。

【写真】この記事を書くための調査中に発見したKage氏製作の”元祖”Tiny製作キット。パーミッション制限があるものが50L$、フルパーミッションのものが2000L$で販売されていた。

【写真】Kage氏はこのほかにも各種ジャイアントアバターなどを製作。ジャイアントアバターDIYキットなども販売している。

【写真】初期に製作がスタートしたシリーズで、今も動物系タイニーの定番となっているWynx氏の「Tinies」。私がSLを開始してから最初に購入したタイニーもこのシリーズだったりする。日本人にもファン多し。ちなみにWynx氏は、FurryアバターやNeko(ネコ耳)アバターの製作者としても著名な人物である。
(※1)「Second Life Wikia」の記述などを参考としています。
●海外におけるタイニー事情
初代タイニーアバターこそロボットをモチーフとしたものではありましたが、タイニーを広く知らしめたWynx氏の「Tinies」の影響もあって、その後は動物系タイニーがシェアを伸ばしていきました。
正確な統計を取ったわけではありませんが、通販サイト「SL Exchange」で「Tiny Avatar」をキーワードとして検索した際に表示されるアバターのうち、かなりの割合が動物系であることを見れば、海外ではいかに動物系タイニーの人気が根強いかが解るでしょう(日本人クリエーターの作品の多さにも驚かされますが、これはまた後ほど触れます)。
動物系タイニーの成功の背景には、元より存在していたFurry(動物系アバター)愛好者たちの存在が大きい様に思えます。彼らに受け入れられたことで、動物系タイニーは瞬く間に広がったという面もあるでしょう。
また、タイニー愛好者の数が増えるにつれ、独自のコミュニティーも形成されていきました。いくつかのタイニー専門グループが設立され、数百名単位のメンバーを集めるようになると、そこに集まったクリエーターたちの手によってダンスアニメーションや家具、アクセサリ、乗り物といった関連商品の開発も進められていったのです。
こうしてタイニー文化は着実にSLに根付いていき、タイニーをテーマとしたショッピングモールや居住区などが作られるまでになりました。また、ファッション系のコンテストやダンスイベントなども催されるようになっていったのです。
【第二回へ続く】
喜ばしいことにSLの日本人コミュニティーで、タイニーアバターの普及が進んできています。今では、日系SIMでタイニーの姿を見かけることは珍しくなくなりました。
ところがタイニーアバターの歴史については、あまり知られていないような気がします。そこで、今回から「タイニーアバターの歴史」と題してタイニーのルーツなどを追っていきたいと思います。少々、長ったらしい文章になるうえ、私自身の記憶やら何やらに頼らざるを得ないため信憑性はビミョウなところかと思いますが、興味のある方は最後までお付き合いください。ツッコミ歓迎、事実誤認については随時訂正してきます。
●タイニーアバターの誕生
「Tiny製作キット」の存在からか、タイニーアバターが日本発のものであると思っている方がそれなりの数おられるようですが、実際には海外発祥の技術になります。
世界で最初のタイニーアバターは、2005年にKage Seraph氏によって発売された「Chibi Mecha」であると言われています(※1)。AO(アニメーションオーバーライダー)技術により、体を限界以上に折りたたんだだけの「小さなアバター」はそれ以前にも存在していたようですが、「歩く」「走る」「座る」といった動作を完全に再現したものは、「Chibi Mecha」が始めてだったようです。

【写真】すべてのタイニーのご先祖様「Chibi Mecha」。「Second Life Wikia」より転載。
タイニー界におけるKage氏の功績は、ただ単に「世界初のタイニーアバターを作った」というだけではありません。真に称えられるべきは、そのAO一式をほかのクリエーターに対して供給したことにあります。
この太っ腹な行為により、海外では続々とタイニーたちが生み出されました。有名どころとしては、Wynx Whiplash氏のアニマルタイニーシリーズがこれにあたります。2005年中頃からリリースを開始した同シリーズは、その愛くるしいデザインで爆発的なヒット商品となりました。このシリーズが「Tinies」として広く知られたことが、「Tiny Avatar」という語の定着に一役買ったようです。以上のような経緯を経てタイニーアバターは海外で市民権を獲得し、広まっていきました。

【写真】この記事を書くための調査中に発見したKage氏製作の”元祖”Tiny製作キット。パーミッション制限があるものが50L$、フルパーミッションのものが2000L$で販売されていた。

【写真】Kage氏はこのほかにも各種ジャイアントアバターなどを製作。ジャイアントアバターDIYキットなども販売している。

【写真】初期に製作がスタートしたシリーズで、今も動物系タイニーの定番となっているWynx氏の「Tinies」。私がSLを開始してから最初に購入したタイニーもこのシリーズだったりする。日本人にもファン多し。ちなみにWynx氏は、FurryアバターやNeko(ネコ耳)アバターの製作者としても著名な人物である。
(※1)「Second Life Wikia」の記述などを参考としています。
●海外におけるタイニー事情
初代タイニーアバターこそロボットをモチーフとしたものではありましたが、タイニーを広く知らしめたWynx氏の「Tinies」の影響もあって、その後は動物系タイニーがシェアを伸ばしていきました。
正確な統計を取ったわけではありませんが、通販サイト「SL Exchange」で「Tiny Avatar」をキーワードとして検索した際に表示されるアバターのうち、かなりの割合が動物系であることを見れば、海外ではいかに動物系タイニーの人気が根強いかが解るでしょう(日本人クリエーターの作品の多さにも驚かされますが、これはまた後ほど触れます)。
動物系タイニーの成功の背景には、元より存在していたFurry(動物系アバター)愛好者たちの存在が大きい様に思えます。彼らに受け入れられたことで、動物系タイニーは瞬く間に広がったという面もあるでしょう。
また、タイニー愛好者の数が増えるにつれ、独自のコミュニティーも形成されていきました。いくつかのタイニー専門グループが設立され、数百名単位のメンバーを集めるようになると、そこに集まったクリエーターたちの手によってダンスアニメーションや家具、アクセサリ、乗り物といった関連商品の開発も進められていったのです。
こうしてタイニー文化は着実にSLに根付いていき、タイニーをテーマとしたショッピングモールや居住区などが作られるまでになりました。また、ファッション系のコンテストやダンスイベントなども催されるようになっていったのです。
【第二回へ続く】
2008年02月15日
謎のGALONGE文明
iNXXのみなさま方が開発していたSIMが、名称を「GALONGE」と変更しお目見えしましたよ・・・という情報を聞きつけ、さっそく遊びに行ってまいりました。
なんでも、SIM全体が「謎の超文明」という設定とのこと。
そいじゃぁ、ここはひとつ謎の超文明を調査すべくメカのひとつでもこしらえてから出発すべきだろう・・・ということでザックリサクサク、超テキトウ造形の「GALONGE文明探査ロボ」(タイニーアバター)を作ってみました。

ミニロボくん、ほか2名の乗組員を乗せ、発進、テキトウ探査メカ1号!

到着したところは、砂漠のオアシスのような場所・・・。原住生物の手によるものと思しき建造物をいきなり発見。
これより、テキトウ探査メカが送信してきた画像をいくつか掲載しておきます。






邪神の偶像と思しきものを映したこの画像を最後にテキトウ探査メカからの通信は途絶しました。
何がどうなっているのやら・・・・・・と興味をもたれた方は、ぜひ「GALONGE」へ。
なんでも、SIM全体が「謎の超文明」という設定とのこと。
そいじゃぁ、ここはひとつ謎の超文明を調査すべくメカのひとつでもこしらえてから出発すべきだろう・・・ということでザックリサクサク、超テキトウ造形の「GALONGE文明探査ロボ」(タイニーアバター)を作ってみました。

ミニロボくん、ほか2名の乗組員を乗せ、発進、テキトウ探査メカ1号!

到着したところは、砂漠のオアシスのような場所・・・。原住生物の手によるものと思しき建造物をいきなり発見。
これより、テキトウ探査メカが送信してきた画像をいくつか掲載しておきます。






邪神の偶像と思しきものを映したこの画像を最後にテキトウ探査メカからの通信は途絶しました。
何がどうなっているのやら・・・・・・と興味をもたれた方は、ぜひ「GALONGE」へ。
タグ :日記
2008年02月03日
ドットで目玉
これまでいくつかのタイニーロボを作ってきましたが、作数が増えるにつれ、プリム数も増加しデザインの線も多くなってきました。ここらで原点回帰・・・・・・という訳でもないのですが、初代ロボ(KX-01)のようなシンプル路線なデザインのロボを作ることにしました。
とはいうものの、シンプルなロボのデザイン・・・なかなかに難しいデス。初代ロボを超えるものが、まったくもって思いつかない。
当時はシンプルなものを目指していた訳ではなく、あくまでも当時の技術で作れるものをデザインしたに過ぎなかったので、あらためて「シンプルなロボ」と考え出すと・・・・・・悩みます。うーむ。
あーでもない、こーでもない、と色々悩んだ末、目をドット絵テクスチャで表現するという方法を思いつき、さっそく試してみました。

試作品その1。なんだか微妙に違和感があります。Cueさんに相談したところ、ボンバーマンっぽいと言われて、あー確かにと納得。ボツに。

試作品その2。その1があまりにも人っぽい瞳だったのがマズかったのかなと思い、非人間的に赤くしてみました。ロボといえば、赤い目玉がギラーンですから。・・・・・・怖すぎます。ボツに。

試作品その3。赤が怖かったので黄色に変更。かわいらしさを出すために、ちょいと寄り目に・・・・・・。まぁ、前回よりは幾分いいですね。
と、こんな具合に試行錯誤している昨今でございます。
とはいうものの、シンプルなロボのデザイン・・・なかなかに難しいデス。初代ロボを超えるものが、まったくもって思いつかない。
当時はシンプルなものを目指していた訳ではなく、あくまでも当時の技術で作れるものをデザインしたに過ぎなかったので、あらためて「シンプルなロボ」と考え出すと・・・・・・悩みます。うーむ。
あーでもない、こーでもない、と色々悩んだ末、目をドット絵テクスチャで表現するという方法を思いつき、さっそく試してみました。

試作品その1。なんだか微妙に違和感があります。Cueさんに相談したところ、ボンバーマンっぽいと言われて、あー確かにと納得。ボツに。

試作品その2。その1があまりにも人っぽい瞳だったのがマズかったのかなと思い、非人間的に赤くしてみました。ロボといえば、赤い目玉がギラーンですから。・・・・・・怖すぎます。ボツに。

試作品その3。赤が怖かったので黄色に変更。かわいらしさを出すために、ちょいと寄り目に・・・・・・。まぁ、前回よりは幾分いいですね。
と、こんな具合に試行錯誤している昨今でございます。